夏の生ぬるい夜には、色々と感傷スイッチが入るらしいですねー。
久々に、佐賀の山のおじいちゃんちを思い出しました。
何度か書いているのでアレですが。
妹と、本当に山奥にある母方の祖父母の家で一夏を過ごしたんですよね。
何がきっかけだったのか、もう思い出せませんが。中学生ぐらいだったかな……。
市街から山の奥深くに車で30分ぐらいかな、お隣りさんは山の向こうで見えないような場所に祖父母宅がありまして。茅葺き屋根で五右衛門風呂のある、本当に絵に描いたような古いウチ。祖父の父だか祖父だかが大工の棟梁だったらしく、その人が作ったらしいんですが。古い農家らしい、黒々とした梁があったのを覚えています。
徒歩で1分もしないところに小さな滝があり、そこでうどん粉を餌に、竹に糸と針をつけて魚を釣ったり、泳いだりしました。川の水はとても冷たくて、夏でも泳ぎすぎると震えるほど寒かったです。
私は小さい頃からぼたもちが好きで、特に祖母の作ったものがお気に入りだったので、よく作ってくれたっけ。そんなに食べられないのに、山ほどこしらえるもんだから、結構苦戦したものです。甘くて焦げた卵焼きとか、赤いウインナーとか。もう中学生ですから、味覚が子供ではないので「美味しい物」リストには入ってなかったのですが、喜ぶだろうと思って作ってくれたものだし、結局美味しく食べたり。残した覚えはないです。
田んぼがすぐ側にあって、泥臭い匂いがしたのですが今でも嫌いな匂いではありません。
風呂のたき付けで杉の葉にマッチで火をつけて、薪にくべた時、ものすごくいい匂いがするんですよね。未だにマッチを擦ったときの匂いが(燐の匂いかな、あれは)好きなのは、思い出のせいかもしれません。ものすごく落ち着きます。
お昼はテレビで「あなたの知らない世界」を見たりして。夜中怖くて眠れなかったり。ただでさえ滝の音がして、周囲に家屋も明かりもなく、山の夜は闇が深いのだとその時初めて知りました。でも、だんだんと慣れて、星や月や、山間の向こうに見える市街の明かりの美しさを楽しめるようになりました。
祖父が亡くなり、祖母が市街に降りて暮らして、5年ぐらいたったでしょうか。
おそらく、もう家はくずれているでしょう。家にいたる道も、草木に覆われて家にたどり着くことさえできなくなっていると思います。
祖父は、私が早稲田に入ったことをとても喜んでくれたっけ。耳があまり聞こえなくなって、人の顔をじっと見る姿が、幼心ににらんでいるように見えて、恐ろしく思ったことを悔やんでいます。私が何を喋っているのか、一生懸命知ろうとしてくれていたのに。
祖母は健在ですが、もうだいぶ会えていません。愛媛も東京から遠いですが、佐賀はより遠い。この夏はいけるでしょうか。どうにも父母の力を借りないと、車の免許もなければ土地勘もない私には、とても遠い場所です。いきなり行かないと、無理してぼたもちをこさえようとするので、行くときはいつも不意打ちなんですけども。味は覚えているから、無茶はさせたくないのですよね。
いつか、山のおじいちゃんちをまたいつでも遊びに行けるような状態にして、帰れる場所にするのが密かな夢です。いつになるかわかりませんが。一生のうちにできればいいな、と思います。母の生まれ育った家でもありますし、思い出のある家がなくなることはとてもつらいことだと思うので(母は口には出しませんが、人一倍寂しがりやなのですよね)。
あー、母が元気なうちになんとかしなきゃ意味ないのかー。
がんばろう。うん。
なんか結局いつもどおり「がんばろう」で終わってますが。
やっぱり夏は、山なんです。